辛すぎた中学時代のサッカー部活動

こんにちは。

今回は、いままで20年間生きてきた中で一番辛かった「中学時代のサッカー部活動」について話していきたいと思います。

僕は1998年、群馬県のある田舎町に生まれました。小学生に上がるときには、5歳年上の兄の影響でサッカースクールに通い始めました。

そのサッカースクールでは、遊び半分に楽しくサッカーをしていました。しかし、地元の中学校に上がると一変しました。その中学はとてもサッカー部が強くて有名でした。顧問は長身ガン黒筋肉ゴリゴリ強面の人でした。

見た目通りその顧問の先生は、厳しい監督として全国でも名が知られていました。時代が時代ですから、体罰も平気で加えるような先生でした。当時はとにかく怯えていて楽しくサッカーはできていませんでしたね。

そんな中学のサッカー部の練習で最もきつかった練習は、「走り込み」です。まあこれは部活動あるあるかもしれませんが、僕等の場合は桁が違います。

先生が駅伝の監督も兼ねていたこともあって、毎朝200mトラックを50週、週2で駅伝のコースに走り込みに行っていました。

もちろん放課後も練習が有り、放課後も200mトラックを50週してから練習に励んでいました。今考えるとなんであんなに走れたのかは分かりません。いまやれば物理的に死にますね。

土日の練習試合の日も50週走り込んでから試合。雨の日は部活動が休みになると思いきや、学校の中で廊下と階段を駆け巡りひたすら走り込み。まじで辛すぎました。

あんな辛い体験はもう二度とすることは無いでしょう。


以上。